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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション at

2009年03月30日

3月30日

今日って何の日かなぁ、なんてネットサーフィンしてたらさ、とんでもない言葉が目に飛び込んできちゃったんですぅ・・・
これは書かずにはいられないわってことで。

その名も、聞いて驚かないで、その名も、しつこかった? 「マフィアの日」です。友達に聞いても知らなかったみたいです。そら知りませんよねぇ(笑)

で、ちょっとウィキペディアなどから引用させていただくと・・・
13世紀当時、シチリアはフランス王族であるアンジュー家のシャルル・ダンジューが支配していて、イタリア系の住民と激しく対立を引き起こしていた。
1282年3月30日に、アンジュー家の兵の一団がパレルモでシチリア住民の女性に暴行したことに怒った住民が暴徒化した。

忽ちのうちに暴動はシチリア全土に拡大し、4000人ものフランス系の住民が虐殺された。
事件の発生した3月30日は復活祭の翌日に当たる月曜であり、教会前には大勢の市民が晩?(夕刻の祈り)を行うため集まっていた。
彼らが暴動を開始したとき、晩?を告げる鐘が鳴ったことから「シチリアの晩?(晩鐘)」と称されるようになった。

これが別名マフィアの日。
1282年、マフィアの名前の由来となったとされる「シチリアの晩鐘事件」が起こった。
当時のシチリア島はフランス国王の叔父であるシャルル・ダンジューの苛酷な支配下にあった。
1282年のこの日は復活祭の翌日の月曜日であり、晩祷の為に教会の前に市民が集まっていた。
そこへフランス兵の一団がやってきて、その土地の女性に手を出そうとしたため、その女性の夫はいきなりその兵士を刺した。
その場に居合わせたほかの市民もフランス兵に襲いかかり兵士の一団を全員殺してしまった。
そのとき晩祷を告げる晩鐘が鳴ったことから、「シチリアの晩鐘事件」と呼ばれる。

この叛乱は全島に拡大し、フランス人は見つかり次第に殺され、その数は4000人以上に及んだ。
この叛乱の合言葉「Morte alla Francia Italia anela(全てのフランス人に死を、これはイタリアの叫び)」の各単語の頭文字を並べると
「マフィア(mafia)」となり、これがマフィアの名前の由来であるという説がある。

シャルル・ダンジューのアンジュー王家はシチリアから追放され、代ってシチリアの支配者となったアラゴン王家との間に20年に及ぶ戦争が起った。

なんともすさまじい・・・日本人でよかった。でもゴッドファーザーのアル・パチーノはホントカッコよかった。。。

  


Posted by ガッキーユイ at 00:23